2021年5月5日水曜日

新津の軍需生産美術推進隊によるセメント像

昨日、新潟県秋葉区にある「石油採掘工夫像」を見てきました。
昭和19年に軍需生産美術推進隊によって制作された像です。







戦争末期の1944(昭和19)年、軍需生産の増強を美術で推進させようと画家や漫画家を含め計四七名が軍需生産美術推進隊をつくり、美術による戦争参加を試みます。彫刻家では、中川為延、中野四郎、清水多嘉示、古賀忠雄らがおり、画像の像は中村直人、柳原義達、木下繁による合同制作のようです。
https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/common/content/000791960.pdf
彼ら推進隊塑像班は、1944年の9月に新潟に向かい、3班に分かれ、それぞれ作品を制作しします。
・新潟県長岡市 東山油田(長沼孝三、野々村一男)
・新潟県出雲崎町 西山油田(林是、川上全次 )
・新潟県新潟市 新津油田(中村直人、木下繁、柳原義達)
石油確保のための戦争であったからこそ、国内の油田は重要な意味があったのでしょう。

合同制作特有の、どこの誰だか特的できないシンボリックな人物造形は、労働者をモニュメント足らしめており、中でも画像の新津油田の像は、機械を操作する人物を描いていて特徴的です。
機械の姿をデザイン的に切り取り、彫刻に仕立て上げていて、この部分が私的にはそそられる...
ただ、人物の首から肩とその付け根がなんか変じゃないですか?

それと、長岡の東山油田の像を中村直人作と勘違いされ、そのように修復されたという話があるようです。
これは難しい話だなぁ。

新津油田の像は、修復も無くボロボロです。
どうにかしなくちゃならないよね。
けれど、どう修理するかが難しい。
美術作品としたら、制作された状況に近い方が良いのでしょう。
上の菅野泰史氏の論文もその方向です。
ですが、歴史からみれば、現状のまま維持するというのもありかもしれない。
また、愛知の浅野祥雲の像のように、ペンキで塗ってしまうのも、今生きている私たちといっしょにある像として、悪いやり方ではないと思う。

今はどうしたら良いかわからないけど、とにかく話題化しないとね。

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