2017年11月5日日曜日

「国民美術」大正13年発行 畑正吉「芸術の時代様式」

国民美術協会発行、美術雑誌「国民美術」大正13年発行 第壱巻 第弐号 通巻第二百四十二号、これに畑正吉が「芸術の時代様式」という文章を寄せています。

この文章は、確か現代の本に再録されていたような。どうだったかな?
ここでもう一度再録するのも面白いのですが、大切なのは畑正吉が何をどう考えていたのかですので、ここは概要にしたものをお伝えし、畑の思想を理解してみたいと思います。
と言っても、私が訳しますので、理解が及ばない部分もあるでしょうが、そこはスミマセン。


芸術の時代様式
 畑正吉 ブログ主(訳)

私たちは、古代の遺物や非欧米文化の製作物や子供の作品を鑑賞すると大いに感銘を受け、共鳴します。
そして、芸術のありがたさを教えられ、真の芸術は時代を超越し永久の生命を持っていると信じるわけです。

ただし、時代は水の様に流れ続け、同じ所にとどまりません。
美術を愛する人は過去の時代の芸術に憧れ、研究し、そこに戻るべきだと論じることもありますが、それはそういった愛好者の個性であって一面の見方に過ぎないと私は思います。

芸術家は、過去の芸術を研究し、これによって大自然の尊さを感受し、自身の作風の一要素とするべきでありますが、それと全く同じに達しようとするのは不可能なのです。

無垢な子供の作品は、ある点で原始時代の素直さを持っていると言いますが、それもある点でしかなく、私たちは煩悩を抱えた現代社会の中で生きていくことしかできません。
しかし、私たちは煩悩のみを抱えて生きているわけではありません。それは、私たちが過去の芸術に触れることで感銘し、共鳴していることでわかります。
もし私たちがただ不純であるならば、芸術は時代を超越して永い生命を保つことはできないでしょう。
私たちは、煩悩(不純)の社会で「真」を持って生きているのです。それを私は「人間芸術的本能」の真情と名付けます。

この真情は有史以来現代に至るまで、そして未来永劫あり続け、さらに螺旋状にあって、始まりあれど終わりはないものです。
純(プユール)であった始まりは、時代の推移によって複雑になり、重なりあってその輪郭ができあがります。
その中で多少の屈折はあっても真情は連綿として変わること無く進むのです。

真情が変わること無く進むのに何故各時代の芸術が多種多様であるか、これを論じるのに私の「工芸芸術の独立」論をもってお答えします。

真の芸術は時代を超越して永久の生命をもち、それゆえ敬意を払われるものです。
しかも、それらの芸術は、その時代の社会意識、時代思潮の影響を受け反映されます。
その両方を統合したものがある時代の様式として現れるのです。

これを後世から見て、様々な様式の展開のみに目を奪われ、時には真情さえも見えなくなっているとき、それは(良い意味での)迷いなのです。
人は迷わされ、時には行き詰まり、そのお陰で真情を進みながらもなにか新しい物を産すことができます。
人種、気候、風土によっても異なる特色として現れます。
ギリシャやローマの作品を復興したルネッサンスといえど、それはその当時の複製ではなく、ルネッサンスの芸術として優れているです。

よって私たちはそういった真情を辿れば、すぐにでも原始時代やギリシャ、ローマの他、どんな時代の芸術でも感受することができるのです。

つまり、様式とは真情を包んだ時代思潮の反映なのです。故に私たちは無意識的に時代様式を産み続けていると言えるのです。
しかし、ただ単に古来の作品を複写するもの、開祖の様式を受け継いで行っているもの、これは時代思潮を無視した複写でしかないと言えます。

また、工芸製作の時代様式については、これが実用と装飾とを併用するものであり、その用途にたいし約束ごとがあります。
その約束ごとが人の生活に必要な形式となって永い年月をもって形式として形成されていきます。
そして工芸作品は、その形式の範囲において芸術の自由があり、多様に変化して時代思潮を遷した様式となって現れるのです。
それを形式に囚われた様式だと断じるのは誤りなのです。
そう、真情を隠して時代思潮の衣を被った工芸芸術であれば、永遠の命を保ち、永遠に敬意を払われるものとなるのです。
(おわり)


畑正吉の主張は、工芸もまた、大文字の芸術の一つだと言うことでしょう。
そのために古代美術や児童の作品を持ってきて、芸術の範囲を大きく広く表すところに畑の思想のダイナミズムを感じます。
所謂アールブリュットをも芸術史に含もうとしているのですね。
そのダイナミズムが後半の「工芸芸術の独立」論でややトーンダウンしているように思えます。

それと、実はこの文章の次頁は高村豊周が工芸そのものを評価する文章を載せています。
豊周は、工芸部門が帝展に編入されたことでの工芸界のアレコレを書いているのですが、ことさらそれを他の芸術と比べることはしていません。
それと比べてみると、畑は、工芸を「芸術」に近づけようと考えているとわかります。
つまり、工芸は「芸術」でなはないことが前提なんですね。畑はその橋渡しをしているのです。

そこから、鋳金等の確立した価値体型を持っている豊周と違い、純粋美術と工芸の合の子的なメダル等を仕事としてきた畑正吉の立ち位置が見えてきます。
その場所に一生立った畑の想いを含め、この文章を再度読めば、文中に収まりきらない彼の叫びが聞こえてきます。

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