2014年8月10日日曜日

北村西望作 「平和祈念像」

この1955(昭和30年)に制作された 「平和祈念像」 は、北村西望氏によるものです。
前回「戦後の銅像に就いて」として、この像についての氏のコメント「「神の愛と仏の慈悲を象徴し、垂直に高く掲げた右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を、横にした足は原爆投下直後の長崎市の静けさを、立てた足は救った命 を表し、軽く閉じた目は原爆犠牲者の冥福を祈っている。」 を書きました。
今回は、この作品の図像的な意味を考えてみたいと思います。

この作品は、一種の信仰対象になっているように思えます。
特定の宗教関連の作品でもない、仏像でもキリスト像でもない、一つの美術家の作品が信仰対象になるというのはなかなかないことでしょう。
それを成せたことが北村西望という作家の力なんでしょう。

その理由は、彼の作風にあると思います。
まず、その作品がどこの誰かわからない抽象化された像であることがその一つ。
戦前の彫刻は、基本的にモデルを用い、その姿を写すことをその仕事としました。
同期の朝倉文夫の作品を見るとわかりますが、 どこの誰ソレをモデルとしたのか必ずわかる作風が一般的でした。
その中で北村西望は、ロダン的な彫刻の解釈から人間の身体を抽象化することを、自身の作風とします。
その結果、「平和祈念像」が、誰かを特定しないことにより、古来からの仏像のように、より信仰の対象となりやすくなったと考えられます。
それは北村西望でなければできなかった仕事なのでしょう。

次に、その抽象化がどうなされたのか、そのベクトルの向きについて考えます。
彼は「「神の愛と仏の慈悲を象徴し」と自身でコメントしているように、その抽象化のあり方に宗教的な意味合いを求めたことは確かでしょう。
「平和祈念像」の顔は、キリスト像のように長髪で、仏像のように半眼です。
ここだけ見れば、男か女かわかりません。それは、性別が無いとされる(男でも女でもある)観音菩薩も同様です。
この像は、日本の伝統的な観音像の一つのバリエーションと言えるのではないでしょうか。
北村西望は、意図的かどうかわかりませんが、この「平和祈念像」を伝統的な観音像として制作したのではないでしょうか。
その為に、この筋肉質な身体であっても、どこか女性的な印象を受けるのです。

仏像のように抽象化された身体を持つ、観音像のバリエーションの一つである「平和祈念像」ですが、そうは言っても、この像は伝統的かと言われればそうだとは言えません。
日本人にとって彫刻という仕事が明治以降の近代の産物であり、北村西望の仕事が近代の産物である以上、この像もまた同様です。
それ以前からの断絶があり、仏像や観音像といった伝統から、歴史からの断絶を示します。
それが、原爆前後という歴史の断絶、区切りを示すことに繋がり、この作品に向かう者にとって意味を成すのではないでしょうか。
但し、前回書いたように、その断絶を示す手法が戦前中に養われたものだということに違和感は残りますが。

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