2013年8月14日水曜日

日名子実三 作 「支那事変従軍記章」

敗戦の日が近くなりましたので、今日はこんな話題で。

これは、日本んで一番多く制作された日名子実三原型のメダルだと思います。
この「支那事変従軍記章」は、名前の通り「支那事変(日中戦争)」に関わった軍人及び民間人に、これを顕彰するために制作されたものです。
挙国一致の当時において、戦争に関わらない人などいなかったわけで、その為に数多く制作され、希少価値はまったくないこのメダル。


中央には八咫烏が配されています。
日名子は、現在も使用されているサッカーのJFAのシンボルマークである八咫烏をデザインをした人物でもあり、この八咫烏のモチーフは神武天皇と共に多く使用しています。
 
日名子実三 作 「創立四十周年記念軍人傷痍会」メダル



日名子実三 作 「第13回水上競技会 東京市連合青年団 」メダル

しかし、「支那事変従軍記章」のメダルの八咫烏は、その特徴である三本足ではない。なぜか。
日名子の原型では三本足だったのですが、どうやら軍の関係者からのクレームで二本足に変えられたのだそうです。

不具だと思われたのでしょうか?

ドイツで行われた「退廃芸術展」 はエルンスト・バルラハなどの近代美術を『ロンブローゾのいう「生来的犯罪人」同様、原始からの隔世遺伝的な退廃に冒され、身体的・精神的な異常を抱えていると断言』し、それらをまとめ破棄します。
この考えは日本にも渡り、例えば山下清における式場隆三郎の態度の変化などに見られるような影響を受けることとなります。
日本は「健全なる精神は健全なる身体に宿る」と、そんな「正しい」姿を国是とするようになるわけです。

その結果、日本の本来持つ歴史、三本足を持つ八咫烏の姿が不具だと変えられます。
それは歴史の湾曲、 歴史を重視したはずの当時において本末転倒が起きたわけです。
そして、そのおかしな(2本しかないという意味で不具の)シンボルをメダルにし、そして
「支那事変(日中戦争)」に関わった多くに人に手渡されたのです。

 支那との戦争を「事変」と呼んだように、当時の人たちもそれを「おかしいな」「変だな」と感じることはあったようですが、それを誰も止めることができない、それが「戦争」という日常であり、それを表現するものが、この小さなメダルなのだと思っています。

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