2021年9月28日火曜日

亀山公園 銅像除幕式









上の写真は、山口県亀山公園にあった、毛利敬親他毛利家の藩主銅像とその除幕式だと思われます。
1枚目はその当日、2枚目は式前でしょうか?
地面には除幕式の為の位置取りがなされています。
銅像にも布が掛けられたまま。
それに、一文字三星紋の毛利家紋の提灯が建っているのが見えますね。

撮影は山口の写真家麻生雲烟(あそううんえん)
https://shashinshi.biz/archives/231
名の上に石観音町とありますが、これは麻生雲烟が構えた店の住所のようです。

除幕式は1900(明治33)年4月15日に行われました。
傘を手にしている人がいますね。小雨でも振っていたのでしょうか?
こちらにサイトによると、その日は『山口の人々は提灯(ちょうちん)や造花で町を飾り、自転車大競争会なども開催。除幕式当日後も、芸妓(げいぎ)たちが奇兵隊の仮装などをして町に繰り出して踊り、祝福』したとか。

銅像製作は長沼守敬。
実は、その時の契約書の写しを所有しています。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2015/05/blog-post.html
この記事を書いたころは写真が無いって言ってましたが、こうして揃えることができました。

写真を見て気が付いたのですが、この銅像たちは柵で囲われてるのですね。
昨今、当時の台座のデザインについて語られることはあるのですが、洋式柵のデザインってどう決めているのでしょうね。

2021年9月27日月曜日

番外編 新津美術館「富野由悠季の世界」観賞





 新津美術館で行われています「富野由悠季の世界」展に行ってきました。
https://www.city.niigata.lg.jp/nam/

アートの展覧会に比べ、情報量が半端なく多く、また企画者の盛る熱量をも感じさせる展覧会でした。
美術館でアニメを観るというのは、ちょっと変わった体験でしたね。

富野監督の資料だけでなく、安彦良和先生やいのまたむつみ先生、安田朗さんの原画なんかもあって、楽しめました。
安田朗さんのターンAの油彩はあんなに大きかったんですね。
中でも、安彦良和先生の現在の漫画でも使われている、墨のようなボカシ表現で描かれたF91の原画は最高でした。
美しい!!
アニメのイメージを伝え、印刷として用いられるための原画は、描かれるキャラクターたちが歌舞伎のように見栄を張らなくちゃいけないのだけど、安彦良和先生のキャラクターは必ず哀愁を感じさせるのですよね。
それがモビルスーツであっても。

演出された裏の物語と言えば、富野監督の指示ではサイド6の戦闘をTVで観るシャーとララーは肉体関係があった後なのだとしているのでけど、今でもそれは感じないなー
距離があるのですよね。ナナイの時も同じように。
それがシャーなのかもしれないですけど。

あと面白く感じたのは、それぞれの作品を観ていると、観賞当時の自分の年齢に戻ったような気持ちになってくることでした。
ダイターン3はどうやって喋ってるのだろうと思っていた幼年期、学校から家まで1時間ちょっとの距離をガンダムごっこをしながら走っていた小学生の頃、塾で全く見れなかったゼータ、友達と映画館へ観に行った逆シャー...
大人になってから観たブレンパワードにキングゲイナー。
富野監督の申し子なんですよね、私たち氷河期世代は。
初めて買った1/100ガンキャノンのプラモを手にした喜びを、今でも覚えています。

その思い出の中でも一番印象深いのは、ずっとイライラさせられたシャクティ...ではなくて、やっぱり∀ガンダムですね。
シド・ミードの原画は(多分色々あって)展示されてませんでしたが、展示スペースはかなり大きくとってありましたし、企画者もそう思うのでしょう。
ラストの6分を「奇跡の6分」って言うのですね。
知りませんでした。
会場でその「奇跡の6分」の映像を観てみたら、何度も観たはずも∀をまた観たくなってきました。
∀は、テレビシリーズで観たくなるのですよね。


富野監督原作の「閃光のハサウェイ」は目茶苦茶面白いし、安彦先生のククルス・ドアンもあります。
まだまだ吾等オジサン達はガンダムと共に生きていけるぜ!!
(ただGのレコンギスタはちょっと心配...)

2021年9月4日土曜日

彫刻家 石川確治より、新潟の樋口正平宛手紙




送り先の樋口正平は新潟の豪農だったようですね。
そして、文化人でもあったのでしょう。
樋口正平で検索すると、太田三郎や小早川清、伊藤晴雨、小堀鞆音、小村大雲といった作家からの樋口正平宛の手紙が出てきます。

この手紙は彫刻家、石川確治によるものです。
時期は大正9年でしょうか。石川確治が帝展を無鑑査になった時期ですね。
正直、何が書いてあるかはわかりません!

2021年8月21日土曜日

新海竹太郎作 第十回文部省美術展覧会出品「龍樹」絵葉書

 


1916 (大正5)年、新海竹太郎制作の「龍樹」絵葉書です。
文部省美術展覧会出品作の絵葉書なのですが、なぜかアトリエでの写真となっています。
なぜでしょう?
わざわざアトリエを選んだのでしょうか?
それとも撮影までに作品が間に合わなかったのかな?

アトリエには新海竹太郎による作品が陳列されています。
「原人」の頭の部分だけもありますね。
他は何でしょう?上部のレリーフも気になります。

東京文化財研究所所蔵ので新海竹太郎資料を見ると、この「龍樹」と背景が同じ写真がありました。
https://www.tobunken.go.jp/materials/sinkai/27963.html
ただ1914年の作品なのですよね。
棚の配置がそのままだったのか、それとも「龍樹」撮影時にまとめて撮ったのでしょうか?
この「龍樹」絵葉書の原板も東京文化財研究所にあるようです。

さて、「龍樹」と言えば中観派の祖であり、空論を発展させた大乗仏教の創始者というイメージがあります。
それが新海竹太郎の手で表現されるとこういった厳しさを漂わせた立ち姿になるのは面白いですね。

2021年7月17日土曜日

中原悌二郎 「若きカフカス人」「憩える女」絵葉書




中原悌二郎による 「若きカフカス人」「憩える女」はどちらも1919(大正8)年の作です。
その2年後に悌二郎は没します。
この絵葉書は、そんな悌二郎の代表作を撮影したものになります。

この2体が揃ったのは、製昨年に行われた再興第6回院展です。
この時に撮影された写真を絵葉書にしたのでしょうか?
ただ、絵葉書の表面は無地で、販売元の名前もありません。
私のコレクションには、院展で販売されたであろうこの2体の絵葉書を所有していないので詳しくはわからないのですが、写真の撮り方からして正規の記録写真ではないような気もします。
特に「憩える女」ですが、正面から撮らず、背中のクローズアップがされていて、作品の記録以上の撮影者の意図を感じます。
この絵葉書が生まれた経緯が知りたいですね。

2021年7月5日月曜日

菊地鋳太郎 作「百合花ノ像本」


正面下に「菊地鋳太郎作 T.K.」のプレートが埋め込まれています。
石膏像制作販売のパイオニア菊地鋳太郎の石膏レリーフです。

菊地鋳太郎については、以前も紹介させて頂きました。
https://prewar-sculptors.blogspot.com/2018/01/42.html

どうなんでしょう?
菊地鋳太郎作となってますが、菊地の石膏製作所の作ということなのでしょうか?
①輸入した原型をコピーしたもの
②工房作品
③菊地鋳太郎本人の作
のどれかなのかもしれません。

菊地鋳太郎本人の作ではないかもしれませんが、白い肌に「百合」の姿も相まって、美しい石膏像ですね。
以前、Twitterで常滑の陶業試作訓練所に所蔵されている菊地鋳太郎作の石膏像を見て、是非コレクションしたいと思っていました。
嬉しいです。


裏側には、「熊本県立第一所女学校」所蔵のラベルが残っています。
「熊本県立第一高等女学校」は現在の熊本県立第一高等学校になります。
大正10年から昭和22年までこの名称が使用されていたので、その時期に所蔵されていた物でしょう。

...それにしても女学校で「百合」とは...
女学生が集まって、このレリーフでデッサンなんかしてたのかなぁ~(妄想)

2021年6月21日月曜日

北村西望作「怒涛」絵葉書




1915(大正4)年に行われた第9回文展出品作、北村西望の「怒涛」絵葉書です。
 文部省買い上げとなる西望の出世作ですね。

最初の絵葉書は手彩色です。
どうやら持ち主が水彩で塗ったようですね。
青色で塗ってありますが、実際は石膏に濃緑で彩色されていました。
この彩色された石膏像は国立近代美術館に所蔵されており、先日の『コレクションによる小企画 男性彫刻』展で展示されましたね。

官展での石膏像の展示は初期からみられるものですが、彩色はいつ頃から始まったのでしょうか?
当時の彫刻家は、銅像色に彩色するための研究も行っていたようですね。
ただ、院展系の作家が行う木彫の彩色を否定する考えも当時からあったようで、彫刻の彩色問題は調べると面白そうです。

2枚目の絵葉書は、この「怒涛」への感想のようです。
「何とブリリと張り切った豊肉だろう―
 緑色の〇(棈?)の力の溢る〇過ぎし〇肉塊」
合ってますか??
ところどころ読めないので言葉の意味はよくわかりませんが、とにかく男の肉体への愛は伝わります。
ちんこも彫刻にあるような曖昧もっこりでなく描いてますし。