この冊子を読んで興味深かった点は、まずこの像の原型に対し、当時からロダンのバルザックとの比較がなされていた事です。銭屋五兵衛像の場合は、ガウンではなく防水合羽を着ているわけですが。
そして、都賀田勇馬は頼まれてこの像を製作したのではなく、自分で銅像建立を企画立案し、事業として資金を集めることまでしていることです。
都賀田勇馬は金沢ゆかりの名士を訪問し、銅像建立の賛同と資金を得るために活動します。
明大の野球部員を金沢に呼び、寄付のための試合を行ってまでしています。(これは失敗に終わったと都賀田勇馬は書いてますが)
クリスト&ジャンヌ=クロードのように、プロジェクトを含めての作家活動なんですよね。
当時も居ただろう芸術至上主義者からしたら、異端だったのではないでしょうか?
さすが、初代ハニベ巌窟院主。
0 件のコメント:
コメントを投稿