2017年3月6日月曜日

Intermission 山下清と昭和の美術―「裸の大将」の神話を超えて

服部正、藤原 貞朗著『山下清と昭和の美術―「裸の大将」の神話を超えて』を読む。
私の先生である三頭谷さんをDisっているところが面白い!
確かに『宿命の画天使たち 山下清・沼祐一』を読んで、こういう本にしては感情的だなぁとは思いましたが。

この『山下清と昭和の美術』に書かれていることですが、山下清が戦後、特に式場隆三郎が亡くなる以降、一家を支える画家、またはデザイナー、そして芸能人として成り立つ姿を、美術界も福祉の側からも無視したと言います。
芸能人となった山下を美術界は受け入れなかった。「美術」はそれのみの純粋性を嗜好するからです。
しかし、彼の姿を福祉から見れば、立派な成果です。
彼は家族の援助あれど、彼の力で食っていけるまでになった。
けれど、「美術」に否定された彼を、福祉の結果として肯定すれば、他の障がい者作家の作品たちの「美術」としての評価をも失いかねません。
「美術」として評価されるから、彼ら障がい者の作品はすばらしい...といった図式が崩されてしまいます。
ゆえに福祉の側からも山下清を無視します。

福祉として成果が上がれば美術としての評価が下がる。
こういうジレンマをアール・ブリュットは抱えているわけですね。


ここにどんな精神疾患をも治す薬がエヌ氏によって発見された。
この薬を飲めば、どんな心と脳の病気をも完治する。
ノーベル賞候補と言われたエヌ氏だが、思いもしなかったところから非難を浴びた。
彼の薬によって、およそアール・ブリュットと呼ばれた作家達が描けなくなったのだ。
そこに残ったのは、素人の絵を描くただの人だった…

こういう場合、私たちは何処に価値を置くもののでしょう?


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