昨年の12月に出版された河野真太郎著『正義はどこへ行くのか 映画・アニメで読み解く「ヒーロー」』を読みました。
「アイアンマン」や「スパイダーマン」、「X-MEN」だけでなく、「ザ・ボーイ―ズ」まで網羅し、そこから見える現在の世界を語った本です。
私の興味ある分野でもあり、とても面白く読みました。
けれど、その後にザ・ボーイズのスピンオフ「GEN V」や「ザ・フラッシュ」、問題作「マーベルズ」等や、ある意味ヒーロー物である「ゴジラー1.0」がアメリカで受け入れたりと時代が進んでいます。
さらに世界は、ウクライナ戦争とガザ侵攻と大きく動いています。
著者には、この激動する世界を同じく語って頂き、それを是非読んでみたいと思いました。
本書では、元来あったヒーロー像「白人異性愛健常者男性」の理想が、現在「多様性の正義」のためアップデートを求められているとします。
そういった表現をMCU映画らが行っていおり、人種・性・障害の有無などにおいて典型的でないキャラクターを生み出し続けていると言います。
それは、ARTにも言えることなのだと思います。
ARTとは、「白人異性愛健常者男性」の理想の下にある文化です。
早いうちから人種・性・障害に関わる作品を生み出し、「多様性の正義」を組み込んでいるのでわかりづらいのですが、根源にはそれがある。
村上隆氏や会田誠氏のような現代作家は、それに自覚的なんでしょう。
著者はそういった時代要請の結果、ヒーローに「困難」を生み出したと言います。
彼は『多様性とは、言い換えれば多文化主義であり、そこには否応もなく「価値の相対化」がついてまわる。その相対化を突き詰めると、「正義」は見失われてしまうかもしれない』と言います。
この「正義」を「美」に言い換えれば、現在のARTの「困難」とまったく同じだと言えませんか?
さらに著者は『「正義」を求めていたはずの多文化主義が相対化主義へと反転し、排他主義的で差別的な「価値観」同士の戦いへと落ち込んでしまう』とし、そうして生まれたトランプ元大統領の姿は『「価値の相対化」を突き詰めたニヒリズム』だと言います。
これをARTで言えば、村上隆氏に嫌悪観を持つ人もそういったニヒリズムの姿と言えるでしょうし、「鑑賞者それぞれに感じ取ってください」価値観と「ARTは学ばなければわからない」価値観の対立も同じ構造だと言えますね。
ただ、ARTの「白人異性愛健常者男性」主義はまだまだ大きく、仮想敵として機能しているからこそ、あり続けているわけですけどね。
私もまた「大文字のART」があるからこそ、こうした彫刻の狭間のコレクションをするという面白味もあるわけで。
そういったニヒリズムをどう克服するのか…
著者は「仮面ライダー龍騎」の「ケアの倫理」と「チェーンソーマン」の欲望の肯定と「愛」に希望を見出していますが、本当に期待して良いのでしょうか?
「チェーンソーマン」と同じく欲望を肯定しながら「愛」の逆の「憎しみ」で生き、その結果「ヒーロー」にならずに済んでいる「ザ・ボーイ―ズ」のビリー・ブッチャーがシーズン4でどうなるのか、「チェーンソーマン」で欲望を満たしたデンジがナユタへの「愛」と世界をどうするのか、その続きを楽しみにしたいと思います。
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