1932(昭和7)年に行われた「第25回明治大学陸上大運動会」のメダルです。
雨田禎之作との事ですが、サインがよくわからないですね~
雨田禎之作との事ですが、サインがよくわからないですね~
雨田光平(禎之)は、1911(明治44)年に東京美術学校の彫塑部彫刻科へ入学。
卒業後に渡米し、ここでハープを学び始め、さらにフランスへ渡り、日名子実三と出会います。
帰国後に構造社に参加し、彫刻家として活動します。
彼の2番目の妻は、我楽多宗開祖三田平凡寺の次女です。
この展覧会を、夏目漱石と三田平凡寺の孫にあたる夏目房之介氏が紹介されていましたね。
雨田光平と三田平凡寺、そして雨田の義理の甥である夏目房之介氏の関係はこんな感じです。
雨田光平(禎之)
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三田平凡寺―――次女 伊登
末女 嘉米子
|―――――夏目房之介
夏目漱石 ―――長男 純一
末女 嘉米子
|―――――夏目房之介
夏目漱石 ―――長男 純一
さて、メダルに話を戻します。
このメダルが雨田光平のものとすれば、1932(昭和7)年は帰国して3年後、若き彫刻家として活躍していた時期です。
翌年には帝展彫刻部門無審査となります。
描かれたのは、剣を握り二人の男を組み伏す荒神の姿です。
円形に三人(柱?)入れて、さらに動きもあって、この造形の上手さは流石ですね。
ただ、いつもの通り、この神話がなんなのかわかりません。
まったく勉強不足で申し訳ない!
このメダルが雨田光平のものとすれば、1932(昭和7)年は帰国して3年後、若き彫刻家として活躍していた時期です。
翌年には帝展彫刻部門無審査となります。
描かれたのは、剣を握り二人の男を組み伏す荒神の姿です。
円形に三人(柱?)入れて、さらに動きもあって、この造形の上手さは流石ですね。
ただ、いつもの通り、この神話がなんなのかわかりません。
まったく勉強不足で申し訳ない!
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