1918(大正7)年、「K.T」と銘があります。
この時期の作家で「K.T」にあたるのは、1877(明治10)年生まれの武石弘三郎ではないかと思います。
武石弘三郎は、1901(明治34)年に 彫塑科卒業後、ベルギーに8年間滞在。ブリュセル国立美術学校に学び、1909(明治42)年帰国します。
その後、昭和初期までの間に多くの銅像を手掛けます。
1928年に出版された「偉人の俤」という銅像図版には45件をも銅像が掲載され、地元新潟だけでも、
1928年に出版された「偉人の俤」という銅像図版には45件をも銅像が掲載され、地元新潟だけでも、
・三上春行上半身像(南蒲原郡三条三条小学校 1914年)
・池原康造胸像(新潟医科大学付属病院敷地内 1918年)
・山田又七座像(長岡市 1920年)
・星野嘉保子上半身像(長岡市公園内 1923年)
・竹山 屯胸像(新潟市 1926年)
と5件あり、
と5件あり、
文京区立森鴎外記念館にある1914(大正3)年作の森鴎外胸像も彼の作です。
多くの作品が「K. TAKEISHI」と刻まれており、本作品の「K.T」とは異なりますが、如何でしょう?
彼の作品は、佐々木嘉朗による『彫刻・武石弘三郎ノート』というまとめられた著作があります。まだ、この本を参照していませんので、確認でき次第、追加でお知らせいたします。
0 件のコメント:
コメントを投稿