今回は、ちょっと毛色の違う絵葉書を紹介します。
絵葉書に描かれているのは、日本画家「寺崎広業」による山脈と日輪。
そして、この絵葉書の差出人は、「市毛谷右衛門」。
これは明治の大横綱「常陸山(ひたちやま)」の本名です。
常陸山は、19代横綱。幕内通算150勝15敗24分預。
明治40年に米国へ渡り、ルーズベルト大統領に会見、ホワイトハウスで土俵入りを披露したとか。
出された日付は大正8年1月3日。
これは、常陸山の亡くなる3年前にあたります。
常陸山として引退した後、郷里水戸へ、本名を用いて送ったのだと思われます。
その時、寺崎広業画の絵葉書を年賀状に選んだのですね。
彼を選んだのは、明治39年の岡倉天心排斥運動おり、寺崎広業が大観らと共に茨城県五浦に移り住んだことから、茨城に所縁のある作家としてなのかもしれません。
この時(大正8年1月3日)の寺崎広業は病に伏せていたと思われます。
美術学校の日本画主任であり、帝室技芸員となって画壇の地位を上り詰めた寺崎広業は、大正8年の2月に54歳で亡くなります。
そうして見ると、この絵葉書は、太陽が山脈の向こう側へと沈んでいくように思えますね。
追記
沈む太陽があれば、登る太陽もがあります。
常陸山と同郷の力士、稀勢の里優勝おめでとう!
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