若狭湾を見下ろす佐久間大尉銅像は、1914(大正3)年に沼田寅次郎によって制作され建てられます。
で、この絵葉書ですが、反保慶文宛となっています。
「反保慶文」は、あの空母「赤城」の機関長であった人物でしょうか?
「16/5」と書かれていますが、これが昭和16年5月であるなら、真珠湾攻撃に参加した1941年12月8日の半年前になりますね。
この時期の赤城は、第1航空艦隊旗艦として任に付いた頃です。
送り先は満州のようです。
送り主は「満州は陸上だと思ったら...」と書き出しています。
ですが、それ以降は何て書いてあるかわからない!
「...奥羽の田舎から....活動を...」ってあぁもう、不勉強でもうしわけない。
わかる方、どうかご教授下さい!!
何よりその送り主もわからない...(最上川 某先生?)
それにしても、もしこれが「赤城」の機関長に送る絵葉書であるとしてら、佐久間勉の像の選択は粋ですね。
彼は海軍にとっては特別な人物だったでしょう。
それが、満州に向けて若狭湾から見送っているというわけです。
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