これも骨董祭で購入しました。
興味はありますが、分野が違うのでどうしようか迷ったのですが、とにかく写真が美しく買ってしまいました。
この裏には Barnard Leach 1934 と記入されています。
1934年は、バーナード・リーチが再来日した年ですね。
この頃は、柳宗悦や他の仲間たちと深い交流を行い、充実した制作を行っていた時代のようです。
同年には、式場隆三郎が彼の本を出版してます。
そして、2年後の1936年には日本民藝館が開設されています。
もしかしたら、そこで売られていた葉書なのかもしれません。
日本民芸館には行ったことないので、現在も同じデザインの葉書が売られているかわかりませんが、どうなんでしょう?
この分野は先行研究が膨大にあり、ちゃんと勉強したことがないので、憶測でしか書けないのですが、バーナード・リーチの日本での立場というは、イサム ・ノグチに似ているような気がします。
イサム・ノグチの登場は、日本の彫刻界に旋風を巻き起こしました。
簡単に言えば、日本の彫刻界という狭い世界に海外の視線が入り、さらにイサム・ノグチが「日本的なもの」を評価したことで、日本彫刻家たちのプライドと妬み、そして憧れ、そういうものが噴出したのですね。
バーナード・リーチについても、そういった感情が日本側にあったのではと思うのです。
ただ、イサム ・ノグチがどこまでいってもアメリカ人であって、黒船的なものであるのに対し、バーナード・リーチは日本の仲間に巡り合えたことで、そういった対立をことさら際立たせることなかったと言えます。
なにより、日本人の美意識を感じさせるバーナード・リーチの芸術として、日本及び欧米各国にも評価されたのだと思います。
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