大阪は天神さん古本市で手に入れたものの一つで、今回一番の出物だと考えるものです。
和紙に描かれた手描きの地図。
示された場所は「桜新地遊郭」です。
桜新地遊郭は、現在の大阪府枚方市にありました。
枚方公園駅周辺がそうらしいのですが、この地図もその辺りではないかと思われます。
明治にはあったと言われるこの遊郭ですが、この地図がいつの頃のものなのかは不明です。
実は、この地図は先に「多木久米次郎 直筆 」 で紹介しましたドイツの本に挟まれていたものです。
この地図目当てで買ったと言っても過言ではなく、数百円を払うときはドキドキしましたね...
なんの為の地図なのかもわかりませんが、この分野は私より詳しい人や先行研究もあるでしょうし、 気長に情報収集していこうと思っています。
それにしても、凄くお洒落な図なので、できたら額に入れようかな。
2014年10月26日日曜日
2014年10月19日日曜日
Hans Schellhorn 作 「Sinnbild der Funkeinheit」
2014年10月15日水曜日
Intermission 多木久米次郎 直筆
大阪は「天神さん古本まつり」で安く手に入れた本の一冊です。
戦前のベルリンの風景写真集のようですが、その最後のページに直筆文が。
正直、読めないのですが、その前ページに筆者の銘が書かれています。
「多木久米次郎」とあります。
多木久米次郎は現、多木化学株式会社の初代社長で、化学肥料の分野で日本の農業に大きな影響を与えた人物のようです。
衆議院議員を勤め、第二十八議会衆議院議員写真列伝 には、「明治41年欧米浪漫より帰朝」とあるので、その時持ち帰った本なのかもしれません。
こういうものが落ちてるから古書市は面白いのですが、この本に関しては私より必要としてる方がいるような気がします。
個人というより公共の図書館とか博物館とか、 そういった関係の方でご興味あるかたにお譲りすることもやぶさかではありません。
そういう方がいらっしゃいましたら、コメント欄にコメント下さい。
衆議院議員を勤め、第二十八議会衆議院議員写真列伝 には、「明治41年欧米浪漫より帰朝」とあるので、その時持ち帰った本なのかもしれません。
こういうものが落ちてるから古書市は面白いのですが、この本に関しては私より必要としてる方がいるような気がします。
個人というより公共の図書館とか博物館とか、 そういった関係の方でご興味あるかたにお譲りすることもやぶさかではありません。
そういう方がいらっしゃいましたら、コメント欄にコメント下さい。
2014年10月13日月曜日
Intermission 岡山―大阪へ行ってきました。
岡山は市原市、井原市立田中美術館へ「ジャパニーズ・ヴィーナス―彫刻家・藤井浩祐の世界」展に行ってきました。
以前、藤井浩祐について当時の作家陣の中では保守的に感じると書きましたが、今回、彼の作品をまとめて見ることができ、若干違う印象を持ちました。
それは、「私の方が彼の作品をスタンダードだと見ている。」ということでした。
この時代の彫刻家の仕事とは、西洋からの輸入された彫塑という文化をどう日本に根付かせるかという全く新しい取組みです。
であるならば、当時において彫塑のスタンダードなどないはずなのに、私は彼の作品をそう見てしまう。
それは、現在、つまり後世からの視点からそう見えるのでしょう。
つまり、 日本彫塑史において、藤井浩祐の作品は常にその中心、王道であったのだと言うことなのだと気づきました。
朝倉文夫や北村西望のようなはみ出す個性を求めず、新海竹太郎らの「浮世彫刻」などを試みながらも、ただまっすぐ、現在から眺められる日本彫塑史の真ん中を「彫刻」とは何かを求めながら走ってきた作家なのではないか、そう考え直しました。
いや、それにしても見ごたえのある展覧会でした。
一日中居られそうでしたね。
ちょっとした興味から探索し始めた日本近代彫刻でしたが、実際この時代の作品が心底好きになっていたのだと確認させられました。
次は、東京の小平市平櫛田中彫刻美術へ巡回するそうです。
それと、この市原町も素敵な場所でした。
JRから井原鉄道に乗り込み、神話の時代の名前のような駅をいくつか越えたところにありまして、山と水と、水辺の植物、そして水鳥が多く見られる場所でした。
地元岐阜の切り立った崖を流れる川のとはちょっと違う生態系に感じましたね。
そんなゆったりとした気分のまま、大阪へ。
げっ、いまだに歩きタバコの人がいるんだね大阪。
気を取り直して今回の目的は「天神さんの古本まつり」。
台風のために一日短縮された古書まつりでしたが、そのためにまだまだ大量の百均本がどっさりありました。ヤッター。
その山の中から森口多里著「近代美術十二講」(大正13年11版)。
ダダや未来派など新興美術を紹介する本で、ブランクーシやザッキン、アーキペンコについても書かれています。
この本は既に持っているのだけど、読み返してみたら独逸表現主義の芸術家としてデゴバルト・ペッシュが紹介されてましたね。以前この作家について書いた時は思い出せなかった。
それと、何故か昭和30年の大阪市立汎愛高等学校の文化祭プログラムが挟まっていました。
後、 「近代美術十二講」にも言及されていた映画「カリガリ博士」について同じく言及していた美術手帳(1980年)の「回想の20年代」。プロレタリア美術について書かれています。
その一味の神原泰著「ピカソ」(大正14年)、その流れを組んでるのかどうか知りませんが吉本隆明著「高村光太郎」(昭和48年)とあと何冊か...
「カリガリ博士」もYouTubeで観れるんだね、凄い時代だね。
それと、この古書市と古本屋を廻って絵葉書を漁る。
○米原雲海 「松風」 (文部省第九回美術展)
○齋藤素巌 「日は昇る」 (紀元二千六百年奉祝美術展)
○日名子実三 「踊」 (第五回帝国美術院展覧会)
○水谷鉄也 「秀作」 「国際美術協会第二回内国美術展覧会」
水谷鉄也は、「大阪府立中之島図書館 大正11年増築記念のメダル 」でご指摘いただいた作家ですね。高村光太郎と同期のようです。
他にも面白いモノを探し出しましたが、それはおいおい...
以前、藤井浩祐について当時の作家陣の中では保守的に感じると書きましたが、今回、彼の作品をまとめて見ることができ、若干違う印象を持ちました。
それは、「私の方が彼の作品をスタンダードだと見ている。」ということでした。
この時代の彫刻家の仕事とは、西洋からの輸入された彫塑という文化をどう日本に根付かせるかという全く新しい取組みです。
であるならば、当時において彫塑のスタンダードなどないはずなのに、私は彼の作品をそう見てしまう。
それは、現在、つまり後世からの視点からそう見えるのでしょう。
つまり、 日本彫塑史において、藤井浩祐の作品は常にその中心、王道であったのだと言うことなのだと気づきました。
朝倉文夫や北村西望のようなはみ出す個性を求めず、新海竹太郎らの「浮世彫刻」などを試みながらも、ただまっすぐ、現在から眺められる日本彫塑史の真ん中を「彫刻」とは何かを求めながら走ってきた作家なのではないか、そう考え直しました。
いや、それにしても見ごたえのある展覧会でした。
一日中居られそうでしたね。
ちょっとした興味から探索し始めた日本近代彫刻でしたが、実際この時代の作品が心底好きになっていたのだと確認させられました。
次は、東京の小平市平櫛田中彫刻美術へ巡回するそうです。
それと、この市原町も素敵な場所でした。
JRから井原鉄道に乗り込み、神話の時代の名前のような駅をいくつか越えたところにありまして、山と水と、水辺の植物、そして水鳥が多く見られる場所でした。
地元岐阜の切り立った崖を流れる川のとはちょっと違う生態系に感じましたね。
そんなゆったりとした気分のまま、大阪へ。
げっ、いまだに歩きタバコの人がいるんだね大阪。
気を取り直して今回の目的は「天神さんの古本まつり」。
台風のために一日短縮された古書まつりでしたが、そのためにまだまだ大量の百均本がどっさりありました。ヤッター。
その山の中から森口多里著「近代美術十二講」(大正13年11版)。
ダダや未来派など新興美術を紹介する本で、ブランクーシやザッキン、アーキペンコについても書かれています。
この本は既に持っているのだけど、読み返してみたら独逸表現主義の芸術家としてデゴバルト・ペッシュが紹介されてましたね。以前この作家について書いた時は思い出せなかった。
それと、何故か昭和30年の大阪市立汎愛高等学校の文化祭プログラムが挟まっていました。
後、 「近代美術十二講」にも言及されていた映画「カリガリ博士」について同じく言及していた美術手帳(1980年)の「回想の20年代」。プロレタリア美術について書かれています。
その一味の神原泰著「ピカソ」(大正14年)、その流れを組んでるのかどうか知りませんが吉本隆明著「高村光太郎」(昭和48年)とあと何冊か...
「カリガリ博士」もYouTubeで観れるんだね、凄い時代だね。
それと、この古書市と古本屋を廻って絵葉書を漁る。
○米原雲海 「松風」 (文部省第九回美術展)
○齋藤素巌 「日は昇る」 (紀元二千六百年奉祝美術展)
○日名子実三 「踊」 (第五回帝国美術院展覧会)
○水谷鉄也 「秀作」 「国際美術協会第二回内国美術展覧会」
水谷鉄也は、「大阪府立中之島図書館 大正11年増築記念のメダル 」でご指摘いただいた作家ですね。高村光太郎と同期のようです。
他にも面白いモノを探し出しましたが、それはおいおい...
2014年10月4日土曜日
彫刻家の著作
画像は、橋本平八著「純粋彫刻論」(昭和17年発行)です。
大正から昭和初期には、彫刻家の所謂彫刻ハウツー本が幾つか発売されます。
その理由は、一方で彫刻家自身が彫刻という仕事について多くに人に知らしめたく想い、他方で東京以外の地方の人々が彫刻について学びたいという希望があり、その上で本の出版技術が向上したからだと思われます。
画像で紹介した橋本平八著「純粋彫刻論」は異色の彫刻本ですが、他には
○藤井浩佑著「彫刻を試る人へ」(大正12)
○木村五郎著「木彫の技法」(大正15) 「木彫作程」(昭和8)
○長谷川栄作「彫塑の手ほどき」(昭和6)
彫刻だけでなく美術一般を啓蒙するハウツー本で「綜合美術研究(No.1~9)」(昭和8~9)や、石膏取りの方法を教える横田常吉著、黒岩淡哉校閲「誰にも出来る粘土細工と石膏細工」(昭和3)なんていう本も発行されています。
また、こういった本の中で、当時なによりも影響を与えただろう高村光太郎の「ロダンの言葉」「続ロダンの言葉」、そして彼の一連の著作。またハウツー以外にも石井鶴三の「凸凹のおばけ」(昭和13)なんてもあります。
以上は、私の蔵書ですが、他にも藤井浩佑の「犬通(いぬつう)」といった彫刻だけでない本まで発行されているんですね。
現在のように、ネットで誰もが発言でき、それが残っていく時代と異なり、こういった本は当時の彫刻家が何を考え作品を残していったのかがわかる貴重な資料ですね。