以前から紹介しています荻島安二のメダルです。
前回も写真関連のメダルを紹介しましたが、今回もカメラを手にした洒落たモダンな女性像です。
こうした女性を当時モガなんて言ったそうです。
メダルの裏側には「東京 小西六本店 賞」とあるのですが、この「小西六」とは後のコニカミノルタ。
Wikiによると
『1921年(大正10年)に「小西屋六兵衛店」は改組し、合資会社小西六本店に移行、その後1937年(昭和12年)に設立された株式会社小西六本店が、株式会社小西六と改称した上で、合資会社小西六本店を吸収合併。』
とのことなので、1921年から1937年までの間に、このメダルは用いられたと言えるでしょう。
構造社の作家は、写真関連のメダルを多く制作してますが、その中で都会の空気を作品として作れたのは荻島安二だけだったように思えます。
2014年4月28日月曜日
2014年4月13日日曜日
Intermission 西田秀雄著 「日本美術と児童画」
この本は、昭和19年12月という、戦争末期に発売されたものです。
前半は、著者自身の児童画教育法を述べています。
そこからは、自由で豊かな児童画を目指す、著者の子供たちへの優しい視点を感じます。
『芭蕉の「子に飽くと申す人には花もなし」の句は児童画を真に楽しい気持ちで見ることのできる人こそ、芸術を愛し得る人であると解してよいであろう』とまで述べています。
後半は、日本美術と児童画との関わりについて述べています。
そして、その当時の美術作品として、あの藤田嗣治の「アッツ島玉砕」について、書かれています。
その一部を抜粋
『この絵を見てどんな気持ちがするか。」と言ったところ、「この兵隊さんの仇討をしてやるぞ。」「日本の兵隊さんがこう言う風にして死んでいく。くやしいくやしい、早く大きくなってこの兵隊さんの代わりに戦争しに行くんだ。」子供の心のどん底からほとばし出る悲痛な言葉に、昭和の子供の真の姿を強く感じた。』
作者は授業として藤田の「アッツ島玉砕」を鑑賞させたようです。
その結果、子供たちはケレン味のない教科書通りの素直な対応をしています。
この子達が、後の針生一郎(彼は当時この絵を見て違う印象を持ったようですが)や吉本隆明になるのだろうな。
2014年4月6日日曜日
Intermission 明石順三訳 J・F・ルサフォード著 「神の救ひ」
ちょっと変わった本を偶然手に入れたので紹介します。
J・F・ルサフォード著、明石順三訳 「神の救ひ」です。
1927年頃の出版のようなので、 昭和2年でしょうか。
『天地全宇宙の創造主に在す 全能の神エホバの聖言として此の書を捧げる「汝等は我が證し人なり」』
明石順三は、明治22年7月1日生まれ。
明治41年に渡米し、大正10年頃、ワッチタワー(エホバの証人)に入会します。
帰国後は、日本支部として灯台社を創立、伝道を行います。
つまりこの本は、初期の「エホバの証人」について書かれた本というわけです。
そんな伝道の中で明石順三は、兵役拒否、戦争及び天皇への批判を行い、その結果、昭和14年治安維持法違反で入獄します。
戦後になり釈放され、昭和40年11月14日死去。76歳でした。
明治以降、日本におけるキリスト教系の宗教観は、非戦の考えを強く持っているようです。
その結果、大東亜戦争時には大きな弾圧を受けます。
彫刻家、 萩原守衛もまた、キリスト教を深い関心を持ち、盟友高村光太郎とは異なり、非戦論を説きます。
彼の美術観にキリスト教がどれだけ深く関わっているのかを知るためにも、当時の日本のキリスト教のあり方に関心を持っています。